白魚四代記 その5
正和4年(1315年)に地頭職・峯氏との訴訟を終え、所領を安堵された白魚氏2代・
行覚。建長8年(1256年)に初代・弘高が分家されて以降、その勢力は本家・青方氏
を凌ぐものとなりました。
3代 白魚 盛高
▲元亨4年(1324年)ころ、行覚は3代・盛高に政務を移しました。
嘉暦2年(1327年)、青方氏4代・高継は自身の所領の南の境を白魚としたことで、
白魚氏3代・盛高と相論になります。
▲最終的に両者は和解しますが、青方氏は承久元年(1219年)に中通島の地頭職を
剥奪されて以降、地頭・峯氏との訴訟や、一族間の所領争い、元寇における御家人と
しての役目などに莫大な費用と労力をつぎ込み、徐々に疲弊していきます。
弘安7年(1284年)に自身の所領における地頭職を認められましたが、この後も
親族・親子・兄弟間で何かとトラブルの多い青方氏は、白魚氏から多大な援助を受け
ていたそうです。
4代 白魚 繁
▲元徳2年(1330年)、盛高から4代・繁に政務が移りますが、4代・繁は白魚氏の
威勢を嵩にきて横暴に振る舞い、本家・青方氏はこれに反感を募らせ、白魚への侵略を
画策するようになります。
青方氏は、重臣・吉村半右衛門を行覚の娘と結婚させ、スパイとして白魚一族に送り
込むことに成功。徐々に行覚の信任を得るようになりました。
鍋つる事件
吉村半右衛門は白魚秘伝の製塩道具「鍋つる」を青方氏に貸し与えるよう、行覚にお願
いしました。行覚は、信頼する娘婿の頼みを断りきれず、貸与することにしましたが、
この一件が白魚氏の滅亡に繋がっていきます。
時を経て、行覚は貸与した「鍋つる」の返還を吉村半右衛門に催促しますが、青方側は
返す気配がありません。業を煮やした行覚は、吉村半右衛門を勘当してしまいます。
これこそが、青方氏の白魚攻略の筋書きでした。
→ 白魚四代記 その6につづきます
【参考文献リスト】
・中世五島武士団の生態(新木涵人)
・白魚盛衰記(近藤章)