【有川】 江孕墓地にある六地蔵塔
有川郷の江孕墓地に六地蔵塔がありました。
▲六地蔵塔は、有川郷の江孕の地名の由来でもご紹介した浜地区の江孕墓地の入口に
あります。
これで我が町の六地蔵塔は、間伏郷、青方郷、太田郷に続いて4つあるということに
なりました。
▲写真右側の下駄の歯のようなものは、土葬が一般的だった時代に棺桶を乗せるための
台だったそうですが、太田墓地にある六地蔵塔と同じく、埋葬される前に棺桶の周りを
念仏を唱えながら三回廻るという風習があったそうです。
▲ここで六地蔵塔にどのような役割があったのか定かではありませんが、念仏を唱えた
後、お堂内のお地蔵さんを拝んだのかもしれませんね。
▲ところで、年代を調べようと竿石を確かめてみところ、建立者なのか何やら名前が
刻まれていることがわかりました。
▲竿石正面。左から、「中山」「相良」「江濱」という苗字が読み取れます。
▲竿石東側はかろうじて読みとれましたが、よく見てみるといずれの名前の下にも「母」
という文字が見えます。右端のものがわかり易いと思いますが、「同行 江口紋冶〇 母」
と刻まれています。
「同行」はおそらく「どうぎょう」と読むものだと思いますが、同行(どうぎょう)とは -
コトバンクによると、
心を同じくして仏道を行じる伴侶の意。禅宗では「どうあん」という。浄土真宗で
はその信徒をいう。
ということです。
▲竿石西側にもやはり「母」の文字が。
風化のためにはっきりとはわかりませんが、4面中3面に三名ずつ名前が刻まれてい
るようで、おそらく全てに「母」と刻まれているものと思われます。
もしかしたら何らかの事件や事故の犠牲となった彼らの霊を、その母親らが供養する
ために六地蔵塔を建立したのかもしれません。
▲個人的に有川の六地蔵塔は、銘文の刻み方からして明治期のものではないかと推測
しています。
▲また、「同行」は浄土真宗の門徒を表すことに注目すると、有川の浄土真宗のお寺
「憶念寺」が開山されたのが大正4年(1915年)、さらに遡ると、浄土真宗を布
教するための説教場が有川に設立されたのが明治12年(1879年)ということで
すので、六地蔵はこれ以降の建立ということになるのかもしれませんね。
坂口雅柳の「九州六地蔵考」には、壱岐島では大東亜戦争に出征する者の無事の帰還を
願って、残された家族が六地蔵塔を建立したというお話が紹介されていましたが、有川の
六地蔵塔も、明治期の日露・日清戦争への出征者のために建立されたのかもしれません。
ちなみに郷土史などの文献を調べてみましたが、この六地蔵塔についての記載はあり
ませんでした。
私たちの知られざる悲しいエピソードが、有川の六地蔵塔にはあるのかもしれません。
【参考文献リスト】
・有川町郷土誌(昭和47年)
・「九州六地蔵考」坂口雅柳