白魚四代記 その7
娘の命を賭した決死の報告に、白魚氏2代・行覚は驚き、激怒しました。
▲元弘3年(1333年)に鎌倉幕府は滅亡し、時代は朝廷が南北2つに分裂した南北
朝時代。白魚氏は南朝に味方し、肥後・菊池氏に加担して4代・繁が軍勢を率いて出陣
中のできごとでした。【画像はWikipediaの菊池武光から転載】
開戦
▲正平14年(1359年)元日未明、急報を受けた行覚は自ら法螺を吹きます。夜の
静寂を破り、里中に響き渡ったその音に領内は騒然とし、行覚は本陣に集まった人々に
竹を切り矢を作ることを命じ、里中が戦備に奔走しました。
そのとき吉村半右衛門率いる青方勢は、闇に乗じて白魚の前に横たわる京島に兵の配置を
終えて、敵の動向を窺っていました。
▲騒然とする白魚陣営を尻目に、半右衛門は島影に待機させた舟組の別隊を徐々に移動
させ、白魚本陣を南北から突き、挟み打ちにする伏兵としました。
▲払暁、青方勢の潜む京島に無数の兵の影が立ち、合戦の合図の銅鑼を鳴らして矢を
射かけます。
行覚は激して号令し、白魚勢は一斉に矢を返しますが、わずかな時間に急いで準備した
1,000本の矢は尽きてしまいます。
東の空がほのかに白み始めるころ、行覚は京島の様子を見て吃驚しました。
なんということでしょう!青方勢と思っていた無数の影は、藁で編まれた人形だった
のです!
吉村半右衛門は京島の山頂に塹壕を掘り、青方勢はそこに隠れて矢を放っていました。
▲陽が昇り、四方の展望が開ける早朝の浜に、白魚本陣めがけて上陸する青方勢を見て
狼狽する白魚勢は果敢にこれを迎え撃ちますが、これに青方の舟隊も合流。白魚勢の
損傷は激しく、潰走するに至りました。
→ 白魚四代記 その8(最終回)につづきます
【参考文献リスト】
・白魚盛衰記(近藤章)
・中世五島武士団の生態(新木涵人)