【有川】 もう一つの志自岐羽黒神社
鯛之浦郷の三角島には鯛之浦神社という神社があります。
▲場所はこちらです。
創建年代は不詳ですが、天和元年(1681年)に再建されたそうですので、それ以前
の創建になります。主祭神は十城別命(志自岐神)と倉稲魂命(羽黒神)の2柱です。
ちなみにこの神社には船でしか渡れません。
以前志々伎神社と志自岐神社でもご紹介しましたが、新上五島町内には2社の志自岐
羽黒神社があります。
▲太田郷の志自岐羽黒神社と、
なぜかあまり知られていないようですが、この鯛之浦神社も明治時代初頭までは志自岐
羽黒神社と称していました。
明治期に作成された長崎県の「神社明細帳」というものがありますが、こちらには、
と書かれているそうです。「前社」とは岩瀬浦の志自岐羽黒神社のことです。
江戸時代の鯛之浦郷を含む東浦地区は、岩瀬浦を中心とする東掛(ひがしかかり)に
属し、同掛内の神社の祭事は岩瀬浦・志自岐羽黒神社の神主が行っていたそうです。
▲文化10年(1813年)6月に上五島を訪れた伊能忠敬の測量日記にも、鯛之浦の
志自岐羽黒神社についての記載があります。【画像はWikipediaの伊能忠敬から転載】
伊能は旧暦6月14日午後16時半頃に鯛之浦に到着します。翌15日に鯛之浦から
岩瀬浦沿岸を測量しています。この日の日記を抜粋しますと、
小手分太ノ浦持神山島を測、一周五町二十七間三尺、神山島より地方本小島鼻へ
渡る本(○に本)印を残、瀬戸巾十五間、松生山に志自岐、羽黒合社あり。
とあります。 ※()内は引用者注
京都大学付属図書館が公開している伊能が書いた肥前国五島沿海(五島上)と照らし
合わせながら見てみると、「神山島」というのが現在の三角島ということがわかります。
「松生山」は「神山島」の森を指すようです。
▲鯛之浦郷民間での鯛之浦神社の通称は「羽黒神社」。また「鯛之浦神社には女神を
祀っているから三角島は女人禁制」とする伝承があるそうです。
Wikipediaのウカノミタマによると、羽黒神(倉稲魂命)は古くから女神とされてきた
そうですが、なぜか「志自岐」が忘れられているのが気になりますね。
ちなみに、郷土誌に掲載される鯛之浦神社の由緒にも旧称についての言及はありません。
謎は深まるばかりですね。
【参考文献リスト】
・志々伎神社(吉田収郎)
・有川町郷土誌(平成6年)