スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

【有川】 太田郷にある織田御前

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太田郷に「織田御前(おだごぜん)」が祀られています。

 

▲地域の人たちから「御前さま」とよばれている織田御前は、太田郷簡易郵便局から

南の蝙蝠鼻に向かう途中にあります。

 

▲場所はこちらです。

 

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▲こちらが入口。

 

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▲織田御前は安産の御利益があるそうですが、実は以前ご紹介した赤尾郷の孕神社

浦桑郷の野々観音と由緒を同じくすると伝えられています。

 

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▲弘和3年(1383年)、有川の友住と頭ヶ島の瀬戸で宇久氏8代・覚(さとる)公の

奥方を乗せた船が転覆し多数の犠牲者を出した という事故がありました。

 

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▲事故の犠牲者には懐妊中だった奥方と 付添いの産婆がいたそうですが、産婆の遺体が

流れ着いたのが織田御前 正面の玉石海岸、「織田ん浜」だったと伝えられます。

 

当時の太田の人たちは、産婆を弔い 織田御前 としてお祀りした、ということです。

 

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赤尾郷の孕神社でも ご紹介しましたが、こちらにも犠牲になった もう一人の添いの

産婆を祀る「子施さま」の祠があります。

 

新魚目町町民俗誌 第二集」によると、こちらの方言で産婆さんのことを 「コゼバンバ

(子競姥)」といったそうですが、太田の「御前」も元々は産婆を意味する「コゼ」を

由来にするのかもしれませんね。

 

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▲織田御前 拝殿内部の寛永10年(1624年)の銘が残る石祠に、楕円形の自然石が

置かれていますが、これに触ると安産の御利益があるとか。

 

孕瀬戸の遭難事故の痕跡は、様々な形で いろんな場所に残っているので面白いです。

 

【参考文献】

・ふるさとの歩み(有川町教育委員会

新魚目町町民俗誌 第二集(新魚目町教育委員会

 

おじいさん―笠智衆写真集

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