【有川】 有川郷の弁財天祭り(2)
続 1月17日に有川郷で弁財天祭りが行われました。
▲弁財天祭りは、元禄4年(1691年)に有川捕鯨の守護神として勧請された弁財
天宮への奉納行事を起源とします。正月2日に行われた鯨組の「仕出式」では、早朝
から鉢巻に両肌を脱いだ鯨組の者たち40数名が円陣をかきながら「生歌踊り」を披
露した後、初漁に向かう行事が盛大に行われたそうです。
その後、正月14日が大潮で休漁になることから この日を「弁財天祭り」の例祭日に
定めたそうですが、明治時代後期の有川捕鯨の衰退とともに消滅に至ります。
以上のことから、当時の弁財天祭りは 有川捕鯨の関係者によって行われていたと思わ
れますが、現在のように各地区の青年団によって行われるようになったのは、昭和5年
(1930年)の復活以降だと思います。
今回は現在の弁財天祭りを担う、有川郷6地区の青年団を ご紹介したいと思います。
▲まず、こちらが前回ご紹介した浜青年団。黒の着流しに茜鉢巻が目印です。
浜青年団には「生歌」 「大歌」 「年の始め」 「旦那さま」など6曲の鯨歌が伝承されて
いますが、このほかにも「椎皮たたきの歌」「網の目締めの歌」 など4曲の「納屋歌」
とよばれる鯨納屋での作業中に歌われた労働歌が伝承されています。
また、昭和5年の弁財天祭り復活を先導した青年団でもあります。
▲続いて、船津青年団。濃紺の法被の背に「鯨」が目印です。
船津青年団には「弁財天」 「旦那さま」の2曲の鯨歌が伝承されていましたが、平成
21年に「祝い幸歌(さちうた)」という歌が新たに作られました。
▲中筋青年団。紺の法被に有川鯨組の旗印である「八二」が目印です。
中筋青年団には「弁財天」 「旦那さま」の2曲の鯨歌が伝承されています。
▲上有川青年団。臙脂の法被が目印です。
上有川青年団には「前歌」 「中歌」 「大歌」 「漁歌」 「旦那さま」の5曲の鯨歌が
伝承されています 。
▲高崎青年団。黒の着流しに茜襷が目印です。
高崎青年団には「弁財天」 「祝え目出度」 「かくさん」 「旦那さま」の4曲の鯨歌が
伝承されています。
▲西原青年団。派手目の法被に茜鉢巻が目印です。
西原青年団は平成4年から弁財天祭りに参加。このときに、浜青年団によって「生歌」
「大歌」 「年の始め」 「弁財天」 「旦那さま」の5曲が伝承されました。
▲有川郷6青年団の概要について簡単に ご紹介しましたが、衣装や鯨歌の曲数など そ
れぞれの青年団に特色があることが おわかりいただけたかと思います。
実際には 歌詞の順番や謡回し、太鼓の叩き方などの細かい部分にも違いがありますが、
YouTubeなどの動画サイトで検索すると 各青年団の鯨歌を視聴することができるので
見比べてみるのも おもしろいかもしれませんよ。
【参考文献】
・有川町郷土誌(昭和47年)