【有川】 太田郷にある宝篋印塔
太田郷の、とある民家の庭先に2基の宝篋印塔があります。
▲場所はこのあたりです。
宝篋印塔というのはWikipediaの宝篋印塔によりますと、
滅罪や延命などの利益から、追善(死後に供養すること)・逆修(生前にあらかじめ
供養をすませること)の供養塔、墓碑塔として、五輪塔とともに多く造立された。形
状がシンプルな五輪塔が僧俗を問わず多くの階層で用いられたのに対して、装飾性の
強い宝篋印塔は主に貴顕の間で用いられる傾向がある。
ということです。
▲太田郷には山下商店と森下商店という2つの食料品店がありますが、この両店の中間に
ある、細い路地を入っていきます。
▲山下商店はこちらです。
▲路地の入口から案内碑が確認できますね。
▲こちらです。
▲修復の仕方がだいぶアレですが、宝篋印塔の台座と塔の最上部にあたる相輪の部分しか
ありません。どちらにも永享3年(1431年)2月の年号と、それぞれに「恵禅門」
「正妙禅尼」と刻まれているそうですが、ちょっと確認できませんでした。
▲ところで、以前 江ノ浜郷の江ノ濱薬師堂 でご紹介した「トーノシロ」 の宝篋印塔と
五輪塔、
▲さらに、有川郷上有川地区の「堂前さま」とよばれる宝篋印塔群は、太田郷のそれと、
形式・材質ともに一致するそうです。
いずれも室町上期~中期にかけてのものと推定されているそうですが、当時の有川には
「有河氏」、江ノ浜には「江ノ浜氏」と有力な在郷勢力があり、両地区の宝篋印塔や
五輪塔との関わりが裏付けられるものとされるそうです。
▲天正12年(1584年)に大村の朝永新左衛門が五島に招かれ、太田・鯛之浦・
阿瀬津を知行しましたが、これ以前の太田郷に有力な土豪が存在したかについては
「不詳」ということです。
▲ちなみに、太田郷の2基の宝篋印塔は昭和59年秋に「発見」されるまで、その価値を
知る者は誰もいなかったそうです。
【参考文献】