白魚四代記 その8(最終回)
青方勢の奇策に翻弄され、白魚勢は総崩れとなりました。
白魚氏100年の終わり
▲激しい損傷を受け総崩れとなった白魚勢。2代・行覚は槍をかざして陣頭に立ち、敵に
立ち向かいましたが、高齢のため思うように体が動かず、ついに力尽きてしまいました。
「我、必ず汝が子孫七世に禍せん」
行覚、最後の言葉と伝えられます。
▲多くの白魚勢が討取られる中、3代・盛高ら生き残りの白魚勢は峠を越えて東側の
高井旅に逃れたそうですが、これも追手に討取られてしまいます。
▲現在、高井旅には奈良尾中学校があります。
▲場所はこちらです。
▲こちらの敷地内に荒人(あらと)神社という神社があります。
▲由緒書きによりますと、当時の里人らは憤死した3代・盛高の亡骸を丁重に葬り、
小祠を建立してお祀りしたと伝えられます。
▲建長8年(1256年)8月11日、青方氏から初代・弘高が分家して以降、4代・
約100年に渡って繁栄し続けた白魚氏。所領を「白魚千軒」と呼ばれるまでに繁栄
させた功績も空しく、後世の人たちはその祟りを恐れて住むのを恐れ、兵士らの魂を
供養するものはなかったそうです。
千人塚
▲後年、住民らが移住するようになって、白魚地区の南端に「千人塚」とよばれる墓地が
設けられました。
▲墓地入口の石積みの下には、白魚の畑から掘り出された戦死した白魚勢のものと思
われる多くの人骨が埋葬されているそうです。
▲奥にある南北朝時代のものとされる五輪塔と宝篋印塔。白魚氏累代のお墓なのかも
しれません。
いつの時代も諸行は無常、盛者は必衰のようですね。
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【参考文献リスト】
・白魚盛衰記(近藤章)
・中世五島武士団の生態(新木涵人)