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知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

【有川】 有川郷の弁財天宮

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有川郷の浜地区に弁財天宮(べんざいてんぐう)という神社があります。

 

▲場所はこちらです。

 

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▲創建は元禄4年(1691年)。主祭神は田霧姫神です。

 

明治41年(1908年)には、浜地区にあった八幡神社に合祀されたそうですので、

後年復祀されたようですね。

 

▲浜・八幡神社は、昭和63年に有川郷にあった祖母君・天満の両社とともに統合され、

有川神社として新しく創建されました。旧社地は公園として活用されています。

 

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▲弁財天宮の中央の石祠には御神体の八臂弁財天坐像が安置されているそうですが、

この石祠の屋根には「丸に二」の紋が付されていますので、こちらが弁財天宮の神紋

だと思います。

 

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▲この「丸に二」紋は、弁財天宮を勧請した有川村の大庄屋・江口甚右衛門正利の家紋

でもあります。

 

江口甚右衛門正利は江戸時代中期の人物で、半農半漁の寒村だった有川村に有川湾での

捕鯨を興し、一躍巨利をもたらした方です。捕鯨を始めるにあたって対岸の魚目村との

29年におよぶ海境問題を、江戸での公訴で解決に導いた中心人物でもあります。

 

享保10年(1725年)に81歳で亡くなりますが、有川村民らはその遺徳を偲び

「二十日恵比寿」の神号を贈り正利翁社を建立して加護を祈願した、と伝えられます。

  

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▲現在、正利翁社は有川郷の船津地区にお祀りされています。

 

▲場所はこちらです。

   

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▲江口甚右衛門正利は、江戸公訴での勝訴を九十六の神仏に祈願したとされますが、

特に弁財天への信仰が篤かったそうで、勝訴後に有川湾での捕鯨の守護神とするために

鎌倉から勧請したのが、現在の浜・弁財天宮になります。

 

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▲当初、弁財天宮は有川の丑寅(北東)の鬼門にあたる御小島に祀られました。上記

の地図表記では「応護島」となっています。また御小島を正面に見渡せる岩場(現弁

財天宮社地)に遥拝所を設け、明治に入ると田霧姫神社に改称しました。

 

明治8年(1875年)頃に現在の場所に遷ったそうです。

 

▲弁財天宮は現在でも篤く信仰され、有川郷では毎年正月に弁財天宮の奉納行事を起源

とした「弁財天(メーザイデン)祭り」というお祭りがおこなわれています。

 

この弁財天祭りは旧来1月14日に行われていましたが、諸事情により1月の第2か

第3土曜日に変更になっています。

 

ちなみに、平成28年の弁財天祭りは1月16日(土)に予定されています。

 

【参考文献リスト】

有川町郷土誌(昭和47年)

・ふるさとの歩み(有川町教育委員会