スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

【新魚目】 榎津郷の琴平神社の鳥居 

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榎津郷の 榎津(えのきづ)神社の社殿奥に、琴平神社という神社があります。

  

▲場所はこちらです。

 

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▲こちらが榎津神社。

 

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▲榎津神社の創建は建仁3年(1203年)。主祭神菅原道真公と随神・春彦大神の

二柱です。旧称は天満宮で、明治3年(1870年)に 現在の社号に改められました。

神紋は「梅鉢」、旧社格は村社です。

 

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▲榎津神社の社殿左脇を抜けると 奥に祀られている琴平神社に続く参道がありますが、

この参道入口には 江戸時代に富江藩主から寄進された鳥居があります。

 

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▲こちらが琴平神社の鳥居。

 

天保4年(1833年)正月に、富江藩6代藩主・五島運龍(ゆきたつ)が大漁を祈願

して建立したそうですので、約180年前のものになりますね。

 

平成17年の福岡県西方沖地震のときは ちょっとヤバかったそうです。

 

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▲鳥居の両柱表面に刻まれた祈願文には、

 

 罟師惟救世善 魚鱗惟不朽目

 

と、刻まれています。「罟師(あみし)」は漁師をあらわしますので、「榎津の漁師が

困らないように大漁を祈願します!」といった意味合いでしょうか。

  

裏面は風化のために読めなくなっていますが、

 

 伏希 従五位 五島伊賀守運龍 朝臣 武運鞏固 衆願成就 也

 

と、願主の6代藩主・運龍公の名前が刻まれているそうです。 

  

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▲榎津神社の名誉宮司さんのお話によると、もともと この鳥居は天満宮に奉納された

ものだったそうです。鳥居のそばには古い天満宮の扁額が置かれていますが、こちらが

掛けられていた、ということでした。

 

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▲鳥居をくぐって参道を進むと、現・榎津神社の本殿の後ろに回ることができますが、

現在の社殿が建てられるまで 天満宮はこの場所にお祀りされていたそうです。

 

榎津神社は明治16年(1883年)に 本殿と拝殿が再建されたそうです。現在地に

遷宮されたのは このときだと思いますが、鳥居の場所は変わっていないということで

したので、遷宮後に琴平神社の鳥居として そのまま再利用されたんでしょうね。

 

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天満宮旧社地には、榎津郷内各地にお祀りされていた石祠が集められています。

ほとんどの祠が明治41年(1908年)に合祀されたそうです。

 

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▲浦桑旧道の若宮神社(写真左)や、榎津港正面の竹ノ子島の白鳥神社(写真右)、

 

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▲宝暦10年(1760年)の銘の残る祇園宮(写真左)や、火伏せの神さまとして

知られる秋葉神社(写真右)、

  

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▲そのほか、山神や水神、金毘羅神社や海童神の祠など さまざまです。

 

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 ▲五穀豊穣や 大漁を祈願するといわれる 男性器の形をした自然石もありますが、これは

最初からあったのかもしれませんね。

 

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 ▲この奥に琴平神社はあります。

 

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▲旧社地のほとんどの祠の神さまは、こちらでお祀りされているということでした。

 

【参考文献リスト】

新魚目町郷土誌

・榎津神社由緒記