スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

【有川】 有川郷の江孕の地名の由来をスメルする

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有川郷の浜地区に江孕(えばらめ)という地名があります。 

 

▲地図上のピンの立っている場所は墓地になっていますが、この周辺が江孕と呼ばれ

る地域です。

  

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▲有川では江孕というとほとんどの場合この江孕墓地を指しますが、地域の人たちは

「えーばらめー」と発音するので初めて聞いたときは呪文かお経かと勘違いしました。

 

いつの頃からこの地にお墓が建てられるようになったかは定かではありませんが、調

べてみると江孕の地名の由来は「死」を連想させるお墓とは真逆の「生」を感じさせ

られるものでした。

 

「青方文書」という町内・青方郷を本拠とした土豪である青方氏が残した中世から近

世に至る文書に、有川の江口家に関する「江口家譜」が書かれています。この項目に

「江孕」の由来が書かれてますので要約してご紹介いたします。

 

 むかし江口川と呼ばれる川があった。

  ↓

 馬場さんという臨月を迎えた女性がこの川の水神に安産祈願をしに来た。

  ↓

 突然、産気づいた。

  ↓

 男の子が生まれたら苗字を江口に変えて、水神のご利益を後世に伝えると誓願した。

  ↓

 河原で男の子が安産で生まれた。

  

 これ以降、この川を「江孕」と呼ぶようになり、川の水神を江孕水神と名付け河原に

 お祀りし、安産の守護神とした。

  

ということです。

 

13世紀ころの有川を治めた豪族「馬場氏」は、後に「五島氏」となる宇久島の豪族

「宇久氏」から養子を取り、家督を継がせ「有河氏」を名乗ったそうですが、「馬場

さんという臨月を迎えた女性」は、この「馬場氏」の支族のようですね。

 

この物語をみると現在の有川地区で多くみられる「江口」という姓の由来を語るもの

といえるようですが、「神話は事実になぞらえて語られる」という「トビ」こと「う

はオビト」の言葉どおり、 ほかにもなにか隠されていそうな気がします。

 

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▲江孕水神は明治の合祀令の際に、浜地区にあった八幡神社に合祀されました。その

後、昭和62年に浜・八幡神社を含む有川地区の三つの神社が合併し新たに創建され

た有川神社に合祀されています。

 

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▲現在は木々に覆われていますが、江孕墓地の北東には江孕水神を祀っていた旧社地

があります。

 

▲場所はこちらです。

 

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▲茂みに入ると現在も鳥居の柱と笠木が残されています。

 

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▲ほかにも鳥居の残骸と思しきものがゴロゴロ。

 

昭和18年(1943年)に神祇会南松浦郡部がまとめた「五島神社誌」によると、

江孕水神の祭神水波能売命。創建は天正年間(1573~1593)と伝えられて

いるそうです。

 

浜・八幡神社への合併は明治41年(1908年)ということですが、100年以上

放置されているようには思えませんので後年復祀されたのかもしれません。

 

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▲傍には川が流れています。これが旧・江口川でしょうか。

  

日本の神々 (岩波新書)

日本の神々 (岩波新書)

 

 ▲関係があるかどうかわかりませんが、民俗学者谷川健一著の「日本の神々」によ

ると、1960年代まで、北陸のある地域では波打ち際から10数メートル離れた場

所に建てられた小屋の中で出産が行われていたそうです。

 

同著に小屋での出産の様子が書かれていたので抜粋してみます。

 

 「産小屋の一番下に砂を敷き、その上にワラシベを置き、その上にゴザやムシロを

 重ね、産婦は腰のまわりに藁の束をあて、ボロ布団に凭れながら蹲踞し、(天井か

 ら垂れ下がった)力綱をにぎりしめて子供を産んだ

 

産婦が入れ替わるたびに、下に敷かれた砂と藁は取り替えられたそうですが、その羊

水が混じった敷砂を、この地方では「ウブスナ」と呼んだそうです。 

 

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▲江孕水神も「波打ち際から10数メートル離れた場所」にありますが、水神をお祀

りした由来の本来の意味は、かつてここに産屋があって(あるいは水神の社で)出産

が行われていたことを伝えるものだったんじゃないか、とも思えます。【画像は「国

土画像情報1974~1978年撮影」を編集】

 

古事記では豊玉姫が海辺に産屋を建ててヒコナギサタケウガヤフキアエズを出産

したとされています。

 

また、古代において人間の誕生は「死者の国」から「生者の国」への移行と考えられ

ていたそうです。

 

お墓と出産伝説の残るこの江孕は、生と死が混在する境界の地のようですね。

 

【参考文献リスト】

・江口家文書叢書・第7集(荒木文朗編)

有川町郷土誌 

・五島神社誌

・日本の神々(谷川健一