スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

新上五島町に残る江戸時代の鳥居 その1

f:id:smell-s:20150405121048p:plain

「みJOY」春の16号でも記事にしましたが、新上五島町に現存する江戸時代の鳥居を

年代の新しい順にご紹介したいと思います。「その1」は19世紀に建立された鳥居です。

 

野々観音 一の鳥居(浦桑郷)

f:id:smell-s:20141128174246j:plain

▲こちらは嘉永5年(1852年)に建立されました。

 

f:id:smell-s:20141127195017j:plain

▲嘉永五子年の銘がみえますね。

 

▲場所はこの辺りです。

 

野々観音についてはこちら ↓

【新魚目】 浦桑郷の野々観音 - スメルズ for Kamigoto

 

行者山社の鳥居(友住郷)

f:id:smell-s:20141129131636j:plain

▲友住郷 行者山社の鳥居。こちらは弘化3年(1846年)に建立されました。

 

f:id:smell-s:20141210173730j:plain

▲弘化三丙午年の銘がみえますね。

 


▲場所はこの辺りです。

 

f:id:smell-s:20150123180529j:plain

▲もともと行者山社は、神域とする行者山々頂付近に社殿がありましたが・・・

【写真は2010年12月撮影】

 

f:id:smell-s:20150123180656j:plain

▲現在は参拝しやすいように鳥居の傍に祠が建立されています。

 

近隣の方に由緒を聞いたところ、昔々この行者山で修行していた修験者をお祀りして

いる、ということでした。

 

f:id:smell-s:20150404165759j:plain

元禄5年(1692年)9月、高野山行人方の僧侶125人が、罪人となって五島

列島に配流され、内105人の僧侶が上五島に流されたそうですが、僧らは元禄13年

(1700年)に帰国を許されたものの島に残った者もいた、ということです。

【画像はWikpediaの高野山から転載】

 

f:id:smell-s:20150123183342j:plain

▲このためか、行者山という地名や修験道の開祖とされる役行者を祀る神社は、阿瀬

津郷や浜ノ浦郷、若松島などにも残されていて、いずれも流罪となった僧侶との関連

があるそうです。【写真は阿瀬津郷の役行者

 

江ノ濱神社の三の鳥居(江の浜郷)

f:id:smell-s:20151018122148j:plain

▲江の浜郷 江ノ濱神社の三の鳥居。こちらは、天保15年(1844年)9月に建立さ

れました。

 

f:id:smell-s:20151018122438j:plain

天保十五歳の銘が見えるかと思います。

 

▲場所はこちらです。

 

琴平神社の鳥居(榎津郷)

f:id:smell-s:20141127193020j:plain

▲榎津神社の奥にある琴平神社の鳥居。こちらは天保4年(1833年)正月に建立

されました。

 

こちらは年号が判読できませんでしたが、富江藩6代藩主・五島運龍(ゆきたつ)公が

大漁を祈願して奉納されたそうです。

 

琴平神社についてはこちら ↓

【新魚目】 榎津郷の琴平神社の鳥居 - スメルズ for Kamigoto

  

             → 新上五島町に残る江戸時代の鳥居(2)につづきます

 

【参考文献リスト】

若松町誌(若松町教育委員会

上五島町文化遺産をたずねて(上五島町教育委員会

 

山六産業  鳥居 小

山六産業 鳥居 小