【上五島】 青方郷の天神の地名の由来をスメルする
青方郷に天神という地区があります。
▲新上五島町役場と青方小学校周辺が天神地区になります。
▲福岡市中央区には天神という繁華街がありますが、これはこの地区に菅原道真を主
祭神とする水鏡天満宮という神社が鎮座することに由来します。【画像はWikipedia天
また、祭神の菅原道真公ですが現在では学業の神さまとして親しまれていますね。
【画像はWikipedia菅原道真から転載】
生前は優れた学者であり歌人でもあった道真公は、延喜3年(903年)に失意のうち
に大宰府で没しました。死後には怨霊となってさまざまな変異をもたらしたとされ、
「雷神(天神)」と結び付けられ畏怖されました。
以降、その祟りを鎮めようと設けられたのが各地の天満神社だそうです。
ということで、この青方郷の天神地区にも天満神社があるはずなので探してみまし
た。が、この周辺に青方神社以外の神社があると聞いたことがないので、まずは青方
神社から調べてみましょう。
▲青方神社の創建は寛弘2年(1005年)ということですので、新上五島町内でも
有数の古社です。 祭神は、大己貴命、国常立命、瓊々杵命、天忍穂耳命、惶根命、伊
▲場所はこちらです。
▲境内にある稲荷・八坂の2つの境内社に7柱の神さまが祀られていますが、天神・
菅原道真公はお祀りされていませんでした。
さらに調べてみると「上五島町の文化遺産をたずねて」という本に「天神さま」の記
載があるのを見つけました。
▲青方小学校と町役場のそばを釣道川という川が流れています。写真右手の木の根元
に天神の祠はありました。
▲場所はこちらです。
▲こちらが天神の祠です。両方の祠に男性器の形をした自然石が祀られていますが、
右側の祠には、
布留部由良由良(ふるべゆらゆら)
十種神宝大祓 守護
止留部由良由良(とるべゆらゆら)
と書かれたお札が貼り付けてあるそうです。が、ちょっと確認できませんでした。
「十種神宝(とくさのかんだから)」は文字通り「10種類の神の宝物」。「布留部
由良由良 止留部由良由良」は「布瑠の言(ふるのこと)」といわれる鎮魂や死者蘇
生の言霊だそうです。
この「布瑠の言」は本来ならば、
一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部
(ひ ふ み よ い む な や ここの たり ふるべ ゆらゆらと ふるべ)
と唱えます。
「一二三四五六七八九十」が十種神宝を指し、「布留部」は神宝を振り動かすこと、
「由良由良」は玉が鳴り響く音をあらわすそうです。
十種神宝を振り鳴らして布瑠の言を唱えると、死者も甦るような霊験があったとされ
ます。
▲道真公の神霊への信仰を「天神信仰」といいますが、これは「御霊信仰」として発
祥したそうです。【画像はWikipedia菅原道真から転載】
人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた
人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることによ
り祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。
ということです。
やはり「布留部由良由良 止留部由良由良」のお札は道真公の怨霊を鎮めて守護を得
るために貼られていたようですね。
▲「上五島町の文化遺産をたずねて」にはこの祠の祭祀についての記載もありました
が、どちらかというと農業に関するものが多く、5月の「ニゴリマツリ」、6月の
「ツクリアゲマツリ」、さらに古くは「雨乞い祭り」も行われていたそうです。
▲「雷神」として畏怖された道真公ですが、雷は雨とともに起こり雨は作物の育成に
欠かせないものでした。現に雷を「稲妻」や「稲光り」などともいいますが、古くは
「雷が稲を孕ませる」と喩えられるほど雷と稲作は強い結びつきがあったようです。
また本来は「稲夫」と書いて「イナヅマ」と読むそうです。【画像はWikipedia雷神か
ら転載】
このことから雷神は農耕の神でもありました。雷神を「田の神」として祀ったものに
道真公の天神信仰が同一視され、全国に天神信仰が広まる一端となったそうです。
気象学的にも雷が多いと降水量や日照が多く気温が高いなど、 稲の生育には都合が良
いそうです。昔の人は雷が多いと豊作になることを経験的に知っていたんですね。
青方の天神の祠は雷神に豊作を祈願するものだったようです。
【参考文献リスト】