スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

リメンバー 宮本常一

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この写真は昭和38年(1963年)離島振興10周年記念で撮られたものです。

特に貢献のあった前列4氏に感謝状が贈られましたが、前列向かって左端に座ってい

らっしゃる方が民俗学者宮本常一という人物です。

               【写真提供/全国離島振興協議会(転載を禁じます)】

 

昭和28年(1953年)7月に、離島振興法という法律が10年間の限時法として

制定されました。この法律の制定に尽力したのが宮本常一氏です。翌29年には全国

離島振興協議会の初代事務局長に就任しています。

 

宮本氏の略歴をWikipediaから抜粋してみます。

 

 明治40年(1907年)山口県周防大島生まれ。大阪府天王寺師範学校(現大

 阪教育大学)専攻科卒業。 学生時代に柳田國男の研究に関心を示し、その後渋沢

 三に見込まれて本格的に民俗学の研究を行うようになった。

 

   1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡って日本各地をフィールド

 ワークし続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残し         

 た。宮本の民俗学は非常に幅が広く、中でも生活用具や技術に関心を寄せ、「民具

 学」という新たな領域を築いた。

 

現在では「旅する巨人」と称される宮本氏を終生援助した渋沢敬三は「もし宮本君の

足跡を日本の白地図に赤インクで印したら全体真っ赤になる程であろう」と語ったそ

うです。

 

 

 

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▲宮本氏は、昭和27年・36年・37年・39年の計4回、調査のために五島列島を訪れて

いますが、このときの調査の詳細は「私の日本地図 5 五島列島」として出版されてい

ます。 

  

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▲ところでトップの離島振興10周年記念の写真ですが、宮本氏の隣に座っていらっ

しゃる方は旧有川町時代に昭和23年(1948年)から同39年(1964年)の

15年6か月間、町長を務められた山下元一郎氏です。

 

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▲山下氏は明治26年(1893年)に有川の中筋地区で生まれました。大正5年

(1916年)から昭和22年(1947年)までの31年間、教員として五島列島

の各地で教鞭を執られたそうです。【写真提供/新上五島町役場有川支所(転載を禁

じます)】

  

翌昭和23年からは有川町長を務め、昭和28年から同38年までの10年間、並行

して全国離島振興協議会会長も務められました。

 

その他さまざまな要職を歴任した山下氏は、昭和39年に第2号の有川町名誉町民の

称号が贈られ、昭和42年(1967年)に亡くなられました。

  

最近では上五島でも宮本・山下両氏について知らない人が増えてきているそうです。

 

離島の文化と産業の発展に尽くした両氏の功績について、その恩恵を受けている私た

ちはもっと理解する必要があるのかもしれませんね。

 

【写真提供】

全国離島振興協議会

新上五島町役場有川支所

 

【参考文献】

・私の日本地図 5 五島列島

有川町郷土誌(平成6年版) 

  

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三