【新魚目】 浦桑郷の常楽院の石灯籠
浦桑郷・桑の木地区にある常楽院(じょうらくいん)というお寺には、新上五島町で
最も古いとされる石灯籠があります。
▲常楽院は曹洞宗通幻派に属する禅寺で、寛永10年(1633年)の開山です。
▲場所はこちらです。
▲お隣には池田鴻ですでご紹介した浄福寺があります。この辺りの地域では浄福寺を
「上の寺」と呼ぶのに対して、常楽院は「下の寺」と呼ばれます。これは両山の立地
関係を示すもので決して悪い意味ではありません。念のため。
▲さて、件の石灯籠は常楽院の本堂前に据えられています。
▲こちらが我が町最古の石灯籠。この石灯籠は慶安4年(1651年)に建立されて
おりますので、およそ360年前のものになります。
が、実は最初からこちらにあったものではありません。
▲もともとは五島市にある、同じく曹洞宗の大円寺というお寺にありました。
【画像はWikipediaの大円寺から転載】
▲場所はこちらです。
この大円寺は福江藩主・五島氏(宇久氏)歴代当主の菩提寺になっていますが、同藩の
家老職を代々務めた青方氏の墓地もあります。
青方氏は中世期に新上五島町内青方郷を本拠とした土豪ですが、戦国時代に五島氏の
家臣になります。寛永20年(1643年)、福江藩主の号令のもとに「福江直り」
とよばれる島内各地の在郷家臣団の福江城下への移転がおこなわれ、16代当主・青方
雅盛(まさもり)も これに従います。以降、31代当主・敏齊(としあき)に至るまで
約250年間を福江城下に居住しましたが、明治22年(1889年)に32代当主・
光毅(こうき)の青方村初代村長就任を機に旧領の青方郷に復帰しました。
最初に福江に移った16代・雅盛が慶安4年(1651年)に亡くなり福江・大円寺に
埋葬された際、供養のため墓前に建立されたものが現在は常楽院の本堂前にある石灯籠
だそうです。
▲青方郷の上ノ山共同墓地には青方家の墓地があります。
こちらは34代当主によって昭和40年代中頃に整備されたそうですが、墓碑前の石
灯籠はこのときに福江・大円寺から持ち帰ったもので、常楽院の石灯籠も併せて持ち
帰られたと思います。
▲ちなみに、向かって左側の墓碑は青方で亡くなった最後の領主である15代当主・
太田玄種(はるあき)、右側はその夫人のものだそうです。
青方氏は14代・玄重(はるしげ)のときに「太田」を名乗りました。16代・雅盛
になって「青方」に戻しています。
福江城下に居住した16代~31代の当主は福江・大円寺の青方家墓地に埋葬され、
32代・光毅から再びこの青方の地に埋葬されています。
▲常楽院の石灯籠は、福江・大円寺から青方郷本町地区にある青方家に移され、その後、
現在の場所に移されました。
移された経緯と時期について常楽院に尋ねてみたところ、どちらも「わかりません」
ということでしたが、青方家はこちらの檀家だということがわかりましたので、「奉納」
といったところでしょうか。ですが、それ以前に16代・雅盛は浦村(現在の浦桑郷)
を地頭として治めていたそうですので、このことも関係があったのかもしれません。
移された時期については、昭和50年代ではないかと思います。
▲石灯籠の竿石には、
「慶安四 辛卯 天 白翁全暠居士 霜月二十七日 寄通 青方八兵衛尉季春」
の刻字がみえます。
建立した青方八兵衛尉季春という方は、16代・雅盛の甥御さんだそうです。
約360年前に造られた石灯籠。みなさんもぜひチェックしてみてください。
【参考文献リスト】
・上五島町郷土誌(昭和61年)
・新魚目町郷土誌