【若松】 新上五島町随一の古社 日ノ島神社
日島(ひのしま)郷に日ノ島神社という神社があります。
▲場所はこちらです。
▲創建は大宝元年(701年)、祭神は大己貴命、神紋は五島氏ゆかりの丸に花菱です。
▲実はこの日ノ島神社、新上五島町内では最古の神社になります。
五島列島全体での最古の神社は、持統天皇9年(695年)創建の五島市・福江の五社
神社だそうですが、五島市内で2番目に創建年代の古い神社は、大宝2年(702年)の
玉之浦の白鳥神社といわれています。
つまり、日ノ島神社は創建年代がはっきりしている神社の中では五島列島第2位の古社
ということになります。
由緒についてですが、「若松町誌」にはこう書かれていました。
大宝元年9月、讃岐高松に鎮座の大己貴大神を、守護神として日ノ島村金堂崎に勧
請す。始め高松宮の社号だったが、明治3年(1870年)9月社号を日ノ島神社
と改称した。
又、日ノ島に遠江国須智郡横須賀村(今の静岡県小笠郡大須賀町横須賀郷であろ
う)なる。高松(大市姫命) 小笠(素戔嗚命) 横須賀(熊野樟命)の三座を勧請
し横須賀熊野神社と称す。とあるがその祭祀については今明らかでない。
(原文ママ)
▲境内には高松宮の扁額が置かれていました。
▲社殿・右側には3つの境内社が祀られています。
若松町誌に「その祭祀については今明らかでない」と書かれた遠江国須智郡横須賀村から
勧請された「高松・小笠・横須賀の三座」が祀られているかと思いましたが、この内の
ひとつは五島藩の記録によって弁財天をお祀りしているということがわかっています。
▲日島には八坂神社という神社もありますが、八坂といえば素戔嗚命ということで、
小笠(素戔嗚命)はこちらに祀られ、残りの高松(大市姫命)・ 横須賀(熊野樟命)
の2社に弁財天を加えた3社が境内にお祀りされているのかもしれません。
ところで、新木涵人著「五島・若松瀬戸物語」という本によりますと、
大宝元年(701年)の起こった歴史的な事件で、その後の社会制度に大きな変革
をもたらしたのは他でもない「大宝律令」の制定です。
この律令には、狼煙に関する規定があり、現在「日の島」と呼ばれているこの島に
もその役人たちが派遣されて来ました。
ということで、その役人たちが「遠江国須智郡横須賀村」からやってきた際に前述の
三祭神を勧請したのではないか、あるいは大宝2年(702年)に五島列島を経由する
南路ルートを採った遣唐使船を支援する人々が勧請したのではないか、としています。
▲遣唐使は、舒明天皇2年(630年)から寛平6年(894年)の廃止まで約20回
派遣されたそうですが、五島列島経由の南路ルートは承和5年(838年)に廃止。
これ以降は一度渡航が検討されたものの、有名な「白紙(894)に戻そう」という
ことで遣唐使も廃止になりました。【画像はWikipediaの遣唐使から転載】
ちなみに、画像の沖縄を経由する南島路(702-752)は最近の研究で存在が証明
できないということがわかったそうです。
▲北路を最後に採用したのは天智天皇8年(669年)、次の遣唐使は南路を最初に
渡った大宝2年(702年)ということですが、この前後に五島列島各地で遣唐使船の
航海の安全を祈願する神社が次々と建立されています。
【画像はWikipediaの遣唐使から転載】
前述の福江・五社神社、玉之浦・白鳥神社、さらに大宝4年(704年)の小値賀・
神嶋神社と同年以前の創建とされる奈留島・奈留神社などがそれに該当します。
実際に新上五島町の西側の地域では遣唐使にまつわる史跡や神社が多くありますので、
この流れで行くと日ノ島神社の創建と遣唐使は何らかの関わりがある、というのも
頷けますね。
▲ちなみに、「日島」の由来は島の最高峰・バンヤノ峠に狼煙を上げて異国船の来島を
知らせる監視所があったことから、「火の島」から「日島」に転じたのではないか、と
されています。
【参考文献リスト】
・五島編年史(中島功)
・五島・若松瀬戸物語(新木涵人)
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