スメルズ for Kamigoto

知られざる新上五島町の魅力をスメルする。

【上五島】 青方神社に牛の像がある理由

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青方郷に青方神社という神社があります。

 

▲場所はこちらです。

 

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▲創建は寛弘2年(1005年)、新上五島町内でも有数の古社として知られています。

 祭神に、大己貴命 国常立命 瓊々杵命 天忍穂耳命 惶根 伊邪那美命 狭槌の7柱を

お祀りしています。神紋は「右三つ巴」、旧社格は郷社です。 

 

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▲さて、青方神社境内の三の鳥居そばに牛の像が奉納されていますが、 通常このような

牛の像は「臥牛像」とか「撫で牛」と呼ばれています。

 

「臥牛像」は天満神社に決まって置いてありますが、これは祭神菅原道真公と牛に

まつわるさまざまな伝承や説話があることから「牛は天神様(菅原道真)の使い」と

されることに由来します。

 

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▲榎津郷・榎津神社(旧称・榎津天満宮)の一の鳥居をくぐると臥牛像。

 

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▲有川郷・有川神社(昭和62年合併の三社中に天満神社)の社殿前にも臥牛像。

 

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▲先日の青方郷の天神の地名の由来でもご紹介しましたが、青方神社には天神・菅原

道真公はお祀りしていませんでした。

 

これはあやしい、ということで調べてみたら面白いことがわかりました。

 

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▲この牛は「五島牛」だそうです。

 

上五島町文化遺産をたずねて」という本の「牛神」という項目に、こう書かれて

いました。

 

 五島牛の元祖は高麗(朝鮮)牛で、体長は小柄で毛は赤灰色がかった黒色で、力が

 強く立ち回りが敏捷だったために、農耕用として最適だった。

 古くから肥前御厨庄に属し「御厨牛」が生産され、朝廷に献上されたことは有名で

 ある。本町(※旧上五島町)でも浅川牧・網上牧で生産されていた。

 近世(江戸時代)一時牛の病気が流行し、悪疫退散のため牛神を建立し祈願した。

 青方神社境内には五島牛の石像が奉献されている。

 

浅川牧は現在の青方ダム周辺、網上牧は網上郷にあったようです。

 

「御厨(みくり・みくりや)」とはWikipediaの御厨によると、

 

 「御」+「厨」の意で、神饌を調進する場所のことである。本来は屋舎を意味する。
 また、神饌を調進するための領地も意味する。中世日本においては、皇室や伊勢神
 宮など、有力な神社が荘園を持ち、後に地名及び名字として残った。鎌倉時代には
 全国各地に五百箇余ヵ所を数えるほどになっていた。
 
現在の松浦市を中心とした松浦郡地方は、平安中期から室町期にかけて宇野御厨荘」が
あったそうで、新上五島町もこちらに含まれていたそうです。
 
奉納された方は「臥牛像」を意識したことは間違いないと思いますが、青方神社のそれは
「五島産の御厨牛像」だったわけです。
 
五島産の牛は今も昔もブランド牛だったんですね。
 

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▲残念ながら見つけることはできませんでしたが、青方郷の港町地区には「クジコ」
と呼ばれる前述の「悪疫退散のため牛神を建立し願し祠」があるそうです。
 
JA五島のHPによると、五島列島に牛は弥生時代からいたそうです。
  
青方神社の牛の像を調べているうちに思わぬ事実がわかってしまいました。